伝統のテニスコート

校長 永井康博

 毎朝、正門から学校に足を踏み入れると、まず生徒たちの元気な挨拶の声が耳に入り、続いてソフトテニス部員がコート整備をしている姿が目に入ってきます。本校のテニスコートは、体育の授業で運動場としても使用するので、かなり傷みます。それをテニスコートとして使用するために、部員が、練習前後に時間を掛けて整備しています。

 本校のルーツである松山裁縫傳習所が開設されて120年になりますが、今から110年前に現在地に新校舎が建設され、済美高等女子校および済美女学校がスタートしています。その頃からスポーツが盛んな学校で、庭球部(テニス部)もその一つでした。

 「済美学園百年史」に「テニスコートの新設」というタイトルで、大正8年(1919年)のこととして以下のようなことが載っています。

 毎日始業前の午前7時に集合して、伊予鉄の石炭ガラをモッコで運ぶ者、それを粉砕する者、これをばらまく者、校庭には活気が溢れた。川上方面から通学する生徒は午前5時30分に自宅を出る人もいたとか。放課後になると、手伝い生徒が倍加したので40日程でやっとコートに似たものが出来上がった。

 
 当時の伊予鉄郊外線は電化されておらず、蒸気機関車が走っていました。その燃料として使用した石炭の燃えかす(石炭ガラ)をもらって学校まで運んだものと思われます。距離も近いし、軽いものではあるにしても、「モッコを使って運んだ」とあるので、幾度往復したことでしょう。想像を絶する苦労があったと思います。(数年前のテニスコートの改修の際、重機で数十センチ掘り下げたところ、実際に石炭ガラが見付かりました。)

 それから百年以上も、毎日のように手入れをしてきたからこそ、今のテニスコートがあるのです。脈々と継承されてきた、この朝夕のコート整備は、真に済美の伝統と言えます。先輩たちの想いを忘れずに、これからも大切に使ってほしいと思います。

 令和3年(2021年)も残すところ、あと僅かとなりました。新型コロナがこのまま収束していくことを願わずにはいられません。ところで、来年は、学校創立121年目、男女共学20年目となります。校名「済美」の意味である、「先輩の残した立派な業績を後輩が受け継いで、ますます発展させていく」を肝に命じて、令和4年は、更なる飛躍の年としたいと思っています。

2021年12月01日